2015年07月19日

新国立競技場は戦艦大和と同じ運命になる可能性がある

安倍首相:「白紙撤回」決断、新国立の建設計画−コスト膨張で (1)

正直言ってやっぱりオリンピックなんてやるべきではないと思ったね。最初から反対だった。
 加えて五輪そのものがもう飽きられてしまった感がある。これは全くの主観だが、IOCの主義主張が最近支離滅裂になってきている。つまり、開催国がカネで行き詰っているとIOCが「いいよ、いいよ、それで」と自ら主張したものを簡単に撤回し、実質裏切られても問題としないのだ。今回問題となっている新国立競技場の白紙撤回もIOCは全く問題なしと言う姿勢だし(オリンピック招致での大きなアピールポイントだった)、これも招致で大きくアピールしたコンパクト五輪を撤回しても、IOCが文句を言ってきた報道を筆者は知らない。

IOCも日本の国会議員、官僚も、資本主義がうまくいっている数十年間だけ通用した、大規模公共事業とそれから生まれる巨額マージンを当て込んでいるとしか思えない。だから批判の的となった新国立の建設費2500億円を「たった2500億」と言う森喜朗みたいなのがJOCの委員になっているのだ。

そりゃあ、自国の選手が金メダルとってくれたら嬉しいよ。高橋尚子がマラソンで金メダル取ったときは自分の事以上に嬉しかった。だからホームである日本で開催するならもっと金メダルが取れる可能性が高くなるし、将来嬉しいと思えるときが多くなるのかもしれない。

でも嘘を付き通してまでもやるオリンピックは良い結果を生まないだろう。安倍首相の福島第一原発は制御下にあると言う発言からして嘘っぱちだし、会場計画もスタジアム建設も杜撰すぎて、後で儲かりゃあ少々ごまかしても問題ないと言う浮ついた根性を感じずにいられない。
 文部科学大臣から新国立建設費用として500億円分東京都から出せと言われてブー垂れた舛添要一都知事でさえも、招致は少々ホラ吹いても構わないと言う意味の発言をテレビで(フジテレビ「グッディ」で)していたのだ。
 都知事でさえも固い事いわずにどんぶり勘定でやっても巨大イベントなんだから後でお釣りが出るくらい儲かるはずだよと言う心境なのだろう。現在はこんな甘い状況ではない。高度成長時代の日本ではないのだ。

「色白は七難隠す」のと同様、政治家やJOCの上層部、官僚は、巨額の赤字が出ようが、カネが大量に回ってくれれば全ての問題が矮小化できると思っているのだろう。公共事業は七難隠すとでも思っているのだろうか?実に甘くて危険だ。

新国立競技場に関しての報道で、NHKは1800億程度でコンペをやらないと報道している。民放報道では全くの白紙だと言う報道。この大きく違う報道も嫌な予感を感じさせる。計画がまた二転三転する可能性がある。1800億と言う額も安くはないし当初の1300億から500億も増えている。円安だから建設費が高騰してしまうという理由は、言い訳にしか聞こえない。近年の各国の五輪スタジアムの建設費は1000億を切っているからだ。北京五輪のあの「鳥の巣」にしたってそうだ。あんなデザイン第一の建物さえでも1000億以下だ。円安が建設費高騰の原因と言いたいなら、円安にした安倍政権に言うべきだろう。安倍政権は五輪積極の推進の立場なんだし。

今回の撤回されたザハ氏デザインのスタジアムも北京五輪のスタジアム同様、建築家の芸術性を前面に出したデザインだった。筆者は建築家が芸術家気取りで全体の調和を取らず、利用する人間の利便性も考えない、そして言うまでもなくメンテナンス費用、建設費用も考えない建築物は、設計した建築家の低俗な精神性の表れでしかないと考えている。奇抜な建築物にすることで建築家の自尊心を満たしているだけだ。このような建築家の自己主張、自己満足のために多くの人が迷惑をかけるのだ。
 とはいえ、こんなデザインの建築物を五輪関係者が採用しなければ今回の問題も大きくクローズアップされなかっただろう。つまり五輪関係者も同様の低俗な精神性を持った人間だと言うことだ。日本の五輪関係者なら日本の昔の建築物の精神性を見習ったらどうか?これらの五輪のスタジアムのデザインは、美術館か数日程度で取り壊される博覧会でしか通用しないデザインだ。

安倍首相の白紙撤回発言直後の森喜朗は「責任は誰にもない」と言った。これは極めて悪い日本の伝統だ。この様な巨大プロジェクトで責任者が誰もいないなどと言えるとは、しかも総理大臣経験者が言うとは、本当にあきれてしまう。

安倍首相は自身の低下してきた支持率回復のために白紙撤回すると言う大胆な決定をしたのだろうが、東京五輪は今から思えば最初から無茶苦茶な計画なのは招致スピーチの嘘からして明らかであり、スタジアム建設の白紙撤回でさえも小手先の対応でしか思えない。

新国立競技場はバベルの塔もしくは戦艦大和の早すぎる最期と同じ運命になるかもしれない。

posted by danpei at 16:45| 政治経済