2018年02月01日

教員でも間違うような入試の難問を出す事は将来研究者としての発想の豊かさを削いでいるのではないのかと危惧する

http://www.sankei.com/west/news/180201/wst1802010076-n1.html
ミス確認の京大、17人追加合格 物理「出題者11回チェック」
一部抜粋
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京大によると、誤りがあったのは平成29年度一般入試の物理科目の問題。音波について問う設問で、条件設定が不足していたため、正解が一つに定まらなくなっていた。
 京大は指摘を受けて検証し、1月26日に出題ミスを確認。同問題について受験者全員を正解とし、採点し直した。その結果、17人が理、工、農学部に合格できていなかった。また、工、農学部に進学した計11人は志望順位の高い学科に入学できていなかった。
 京大は、希望者について入学や転学を認め、金銭的な補償も行う。
 問題作成の際、出題者が11回にわたりチェックした上で、作成にかかわらない教員が解答作業を行い点検していたが、ミスの発見を防げなかったという。今後はチェックに加え、予備校などが公表する解答例を参考にミス防止と早期発見に努めるとしている。
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難関大に合格した学生は研究者になる人が多いと思うが、異様に難しい問題を出すことは逆に研究者としての才能をスポイルさせているのではないのかと思うね。
実用的な青色LEDを開発した中村修二氏が入試問題をウルトラクイズと形容していたが、クイズに強いだけの学生では答えがわからないことを探求する研究者には不向きな人になるのではと思う。テレビで東大生がクイズを出したりクイズに答えているが、確かに東大生はクイズが大好きな人が多いように見受ける。まあ物理学者のファインマンもクイズやとんちの問題が非常に得意だったようだから研究分野によってはある種のパズル問題に近いのもあるだろう。
だから研究者に必要な資質としてパズル好きなのは今までは重要だったかもしれない。加えて記憶力も必要だろう。大量の数値データを整理して法則性を見つけ出す能力も必要だ。しかしこのような能力は最近の人工知能関連の報道から段々と機械でも代用ができ始めていくと思われる。
機械にできない事は、気付きや、インスピレーションだ。芸術的能力ともいえるかもしれない。これは逆に既存の学問に染まっていくと頭の中で自ら制限を設けてそのような能力が開発されないと思うね。最近の報道では発想力を試す問題が重要みたいなことを言ってるが、所詮入試問題はTVのバラエティ番組で出題されるパズルやクイズの域を出ないと思う。凝った事しようとしたらムーミンの知識を問う地学の問題が出るんだし。

西澤潤一氏が光ファイバの考えを発表したら、そんなのできる訳ないと最初言われて、その後外国でその特許を取ったそうだが、基本的な事は単に屈折率の違いのある透明なケーブルに過ぎない。固さの違うアルデンテのパスタのようなもので、渓流釣りの人が自分の存在を悟らせないために魚から見て鏡になる場所に移動するそうだが、科学者は釣り人より科学を知らなかったという訳だ。この渓流釣りの話を知った時、確かに筆者もプールで潜水した時、水面が鏡になる場合があるのを思い出した。なんだか情けない気持ちになる話だ。

つまり、こんなバカな話はもう出て欲しくないと思うから、紙の上での問題を数式で解くような問題ばっかりやるのは問題じゃないのかと思ってしまうのだ。

 また、今回の京大の入試問題のミスの報道を見ると、受験者に対する一種のしごきに思える。教員が何度もチェックしてもその問題自体に欠陥があるのを見逃すほど複雑な問題を高校生に解かせる。異常だ。
 日本はスポーツで成績を良くするためには何時間も体を痛めつける事が良しという思想がいまだにあるようだが、それと難関大学の入試問題は根本的に似ていると感じる。今では科学的トレーニングという名称が広まって体を痛めつけるやり方は良くないと認識されているが、科学教育もかつてのスポーツのスパルタに近いものがあると言える。少なくとも入学試験問題はそうだ。まさにスパルタ教育をしないと難関大学の入試を突破できない。

無論たくさん合格させたら限られた大学のリソースが足りなくなるというのも入試を難しくしている原因だと思うが、かと言って今の状況がいいとは思えない。妙案は出せないが、別のやり方を模索しなければならないのは確かだ。
posted by danpei at 22:05| science