2019年01月01日

人工知能の発達が人間の本来の生き方を見つめなおすきっかけになれば、それはそれで結構な事だ


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39479920X21C18A2SHA000/
つながる100億の脳 知の探求 常識通じぬ未来へ 「人類」問い直す
前半部抜粋
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テクノロジーの進歩が速度を増し、人類は2050年に肉体や能力の限界を超える。幸福のあり方も根底から覆る未来。岐路に立つ人類は新たな価値観を創り出すときに来ている。
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謹賀新年。今年も当ブログを見てくださり、ありがとうございます。

もう何年も前から人工知能とうるさい世の中だが、個人的には何十年前に興味持って少しかじっただけで今はほとんど興味がない。所詮大量データ処理の一手法に過ぎないと思っているからだ。まあ音声認識は有益だと思うが。
でも、この日経の正月の記事タイトルを見て、「ああ、人工知能の発達が結果的に人間の低俗な価値観をぶち壊し、人間が人間を見つめ直さざるを得なくなるのだとしたら、歓迎したい」と思った。

人間ができて人工知能ができない事とは何か?それは真の創造力を得る能力だ。人工知能の知性がいずれ人間を上回ると言っても、それは所詮既存の大量の物質的知識を整理整頓する能力が大幅に強化されるだけに過ぎない。そこから新しい発見や知見、現象を得る事も出来るが、所詮既にある大量の知識の寄せ集めだ。
 真の創造力とは、自然や宇宙から知識や知恵を得る事だ。現時点ではそれは科学者が分析器を使って調べるものだけのように思っている人多いとは思うが、要するに霊感も真の創造力の源泉だ。これは絶対に機械にはできない。霊感を得るという事は、具体的には瞑想などを通じアカシャ領域という宇宙のどこかにある一種の知識データベースにアクセスする能力だ。この知識データベースはその人の理解力に応じた知識しか提供しないので、その人が処理できない高度な知識を得る事は出来ない。要するに常に努力が不可欠になる。激しく努力している人が、かつて霊感を本人が意識せずに結果的に得ていた時もあったであろう。

我々個人や組織がオリジナルと言い張っている物は、所詮自然や宇宙からのたまものに過ぎない。自然や宇宙のあらゆるものを追い求めた結果が、あらゆる芸術や技術の発達に繋がっている。この自然や宇宙を追い求める態度こそが人間が生きる本来の道だ。そして人間は神以上の存在にならなくてはならないことが義務付けられている。
 ちなみに聖書に出てくる神とは、基本的に宇宙からやってきた悪い心を持った科学者連中にすぎない...AMラジオから流れる宗教の話では訳の分からない存在のように思えてしまうが。彼らが自分たちを敬えと強要し、それに従わなかった人間を大量虐殺し、今の地球上の宗教の基礎が出来上がった。

現在の地球の宗教は結局は信者を縛り付けて儲けるためのビジネスであり、一般人の知識レベルが上がってしまうと宗教の教義も変えざるを得なくなっている。だからいずれ消滅する運命にある。人工知能も図らずもそれに貢献していくだろう。個々の教義自体は良い事を言っているのだが、全体の目的としては単なるビジネスに過ぎない。だから技術が発展し、エネルギー問題などが解決してしまえば金儲けする必要性もなくなり、既存のビジネスも意味がなくなり消滅していくわけだ。
本来の宗教は、宗教を意味する英語、religionからわかる。これは再び結ぶ事と言う意味であり、人間と自然が再び同一になるという意味が本来の意味のようだ。
posted by danpei at 13:17| 社会