2020年11月01日

時代が進めばくだらない差異などどうでもよくなってしまう

ダサい?今どき?伊藤健太郎の免許証で起きた「AT限定」論争
https://news.yahoo.co.jp/articles/752d4815c51da68762e79a9ac8c95fa7af326973
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伊藤容疑者が好んだクラシックカーは、多くがMT車。そのことから伊藤容疑者に辛辣な声を上げる人もいるようだ。
《車好きなのにAT限定かよ》
《伊藤健太郎車好きアピールしててAT限定なんですか?》
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この記事で思い出すのが、以下の記事
藤井二冠の自作PCについて最強将棋ソフト開発者に聞いたらトンデモないことが判明した件
https://bunshun.jp/articles/-/41199

かなり長いインタビュー記事だが、要するに筆者の言いたいことは、車のATとかMTの違いとか、将棋や将棋ソフトの定石とか、評価関数というのは、時代が進めがどうでもよくなってしまうと言うことだ。

車のMTやATの違いは、電気自動車(EV)になれば全くどうでもいい話になってしまう。電動モーターはクラッチもギヤもいらない。エンストもないから非常に単純な構造になる。エンジンのように、ある程度燃料を加えてピストンを動かしている状態でないと、少しの負荷でもすぐに止まってしまう代物ではないからだ。EVならアイドリングストップ機構はモーターの仕組みからして特別な事をしなくても最初から搭載できてしまう。
このようなEVの仕組みは、例えば風を出している扇風機に手を突っ込んで止まらせても、手を離せば回り出す事実から、誰でもそれは容易に理解できる。
 クラシックカー好きなのにAT免許という批判も、昔も電気自動車はあったが実用的でなかったから普及しなかったのであり(石油業界が邪魔したと言う意見もあるが)、その当時の技術者はEVが実用段階と認めたなら当然それを採用していただろう。それにクラシックカーが好きでも、それを運転するとなると今では相当なハードルがある。
 また、将来地球人類は宇宙にも多数人間を送り込むだろうが、その際、搭乗員が宇宙船を全部マニュアルで操作するとは思えない。地上よりはるかに危険なものが飛び交っている宇宙で車より早く移動する乗り物ではマニュアル操作だけでは対処しきれない。現在の旅客機のパイロットでも多くの電子制御に頼っている。だからMTかATかという問題をすること自体馬鹿馬鹿しい問題だ。時代が進めば機械制御の方の比率が高くなっていくのは明白だ。だからこそAT車限定免許というものができたのだ。

一方、将棋ソフトは現在最終局面まで先読みできないから、根拠が明確とは言い切れない評価関数という、ソフト制作者の過去の経験で適当な値を出す関数の値により、先読みの局面を評価付けして一番良い手と思われる手を出している。人工知能を使った評価ソフトも同様だ。完ぺきではないが、そこそこ良い結果を残すから使っているだけにすぎない。

しかし、最終局面まで先読みできてしまえば、絶対に負ける事のない手を指し続ける事ができる(相手もそれができるマシンならどのような結果になるかはわからないが、それはそれで面白いだろう)。そうなれば、評価関数も、定石も、将棋の伝統的戦法もどうでもよいものになってしまう。
今はそれがコンピュータの性能限界からできないので、評価関数やら人工知能やらでお茶を濁しているだけだ。
でもPCが将棋で最善手が打てる世界になったら、味気ない世界になってしまうのだろうか?
…そうはならないと思っている。なぜなら、例えばバイクや車の方が100m走で速く走る事が出来ても、依然として人間は人間で速さを競っているからだ。
あらゆる局面において最善手が分かる世界は、昔からあった定石や、戦法の正確な評価を分析できてしまうだろう。それはそれで学問のような世界であり面白いと思う。

 一方オセロゲームなら、現在でも、もう最初から最善手打てるようなPCのスペックになっただろうか?このゲームなら将棋より複雑ではないので、完全にアルゴリズムで最初から最善手が打てることは相当前から実現てきている。ただ、それを実行できるスペックのマシンがなかったと言うだけだ。

将来は一人ひとりの人間の最終局面、つまり予言もできてしまうだろう。だからと言って人類がすべて投げ出して遊び惚けるとは思えない。

筆者が長年携わっているソフト開発の世界では16bitCPU全盛期の時代は、メモリを扱うのにx86CPUではメモリモデルというものがあり、スモール、ミディアム、ラージという3種類のメモリモデルがあった。これはメモリの単価が当時非常に高く、プログラムサイズを出来るだけ小さくするためにデータ(レジスタ)サイズやアドレスサイズを小さくするために設けたものだろう。今では広大なメモリを取得できるので、そのようなメモリ関連のごちゃごちゃした制約は無くなっている。しかし扱えるメモリ制限というか、限界は依然として存在するが、現在の扱えるメモリ量の限界は普段使うには十分すぎるので問題となっていない。
 昔は1Mbyteを超えるメモリを扱うには一部サードパーティの特殊なソフトが必要だったのに、今ではチリのように小さいメモリカードでもその何百万倍もの容量を記憶でき、それにアクセスするための特殊なソフトも必要ない。

posted by danpei at 12:25| hardware