2010年12月29日

願望を吹聴する専門家の予想はこれからも外れ続ける

ZAITENでも国債暴落を危惧する記事が特集で組まれている。副島隆彦の最新刊では中国が世界経済の覇権を握ることを著し、30円/元になるという。 そして、その本の中には既に尖閣ビデオが誰にでも見られる状態なのに、まだ中国漁船は海保とその背後にいるアメリカの策略で衝突せざるを得なかったなどと言っている。本当に信じられないことを言う人だ。
 蒸し返すが、まず衝突せざるを得なかったなんてのは理由にならない。まずはエンジンを止めて停船だ。それをしないで逆にエンジン出力をあげて衝突した連中に何の非がないと言える神経が理解できない。漁船の背後や左右には巡視船は接近していないのは明白だし、海保の船は「あおり運転」をしているとは言い難く、ゆっくりしたスピードで監視しているだけだ。

この件だけ副島隆彦氏の底が割れてしまったようだ。彼を媚中派という人がいるが、そういわざるを得ないだろう。願望が分析や予測を上回っているように感じてしまった。
だから国債暴落を危惧(というか執筆陣の願望)するZAITENの記事同様、日本が経済的に悪くなって中国が良くなって欲しいと願う経済評論家がたくさんいるのだろうと感じた。

だから彼ら評論家や専門家の予測という名の願望で我々は恐れを持ってはならないということだ。もちろん彼らの願望自体を否定しているのではない。非合法活動をやれと言っている訳ではないのだし。しかしその願望があたかも必ずそうなるかのような言い回しで読者を暗に誘導しているところが問題なのだ。願望と予測は厳密に区別しなければならない。
 尖閣ビデオの彼の見解はアメリカが悪で中国が被害者という視点を強化するための詭弁だ。韓国でも同じような事件が起こった現在では、彼の尖閣事件の分析は彼の願望が色濃く反映されているに過ぎない。

副島氏が信奉する小沢一郎はこの事件については自分なら中国人船長は釈放しないと今週号の週刊朝日で言っている。小沢一郎はこの対談記事を読んだ限りでは、どの国に対しても言うべきことは言う人間で、中国寄りでもアメリカ寄りでもない。

それにしても同じ朝日でも朝日新聞とこの週刊朝日ではまるで論調が違っている。同じ系列のAERAは朝日新聞をもっと下劣にした週刊誌だ。 
 国債暴落する、しないとで評論家どうしが議論を戦わせているのと同様、世論は小沢憎悪派、小沢支持派互いにいがみ合っている状態だ。

大手メディアの史上かつて無いバッシングで筆者は小沢一郎に興味を持ってしまった。今までは大手メディアの言うような印象しか持っていなかったが、特段悪い奴だとも思っていなかった。なぜなら政治家なんて所詮そんなもんだろう程度で眺めていたに過ぎなかったからだ。

一方、大手メディアは長期間に及ぶ小沢バッシングで逆に小沢一郎の多大なる宣伝をしていることに気づいているのだろうか? あそこまでバッシングされるのだがら当然彼自身に興味を持つ人は多いだろうし、彼の主張が多くの人に読まれれば彼に賛同する人の数も多くなってしまう。よほど変なことを言わない限り。

結局メディアも願望が分析や判断を上回っている。でっち上げ上等の検察も小沢氏を不起訴にせざるを得ないのは、さすがの彼らも返り血を浴びることが十分に予測されるからそうしたのだろう。検察審査会による強制起訴は小沢一郎のダーティーイメージを長引かせるための策略に過ぎない。


これからもテレビでや本屋で目につく有名評論家の願望の入った予測はことごとく外れるだろう。しかし、筆者は五島勉氏のノストラダムスの大予言で述べられている彼の予測は非常に評価している。1985年の時点で日本の長期低迷と中国の台頭を予測しているのだ。1999年のあの有名な予言は当たっているとは思えないが、大まかな予測はほぼ当てており、当たらなかった予測は一番当たって欲しくない予測だから我々がいい方向に努力した結果なのかもしれない。

少々長くなるが「スペシャル日本編」(1987年発刊)のP.205からの抜粋
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「大王」(注:1999年のあの有名な予言詩のこと)が襲って過ぎた後の時期をちょっとだけ書いておく。
それは2010年から20年頃のことになると思うが、この時期のあなたを待っているのは3章でも触れた「サチュルヌ」だ。「"月"(五島氏解釈では西洋世界)の次には"日の国"(五島氏解釈では日本)が栄え、その次にはサチュルヌが支配する」と『セザールへの手紙』で予言された、あの不気味なサチュルヌだ。
 占星術ではそれが「土星・衰亡」を、ローマ神話では「原始農業の神」を、古語では「鉛・毒・汚染」を、カバラでは「中国」を意味すること、3章でざっと説明したとおり。
 問題は、これらのうちのどれが私たちの未来を待っているサチュルヌか、ということだが、私はそれを、「これらの全部だ」と考える。

中略

近未来の世界の国々の中で、中国が相対的にいちばん大きな力を持って、のし上がってくる、それがここで予言された「サチュルヌの支配」の基本的な意味だろう。
 だが、それは同時に、そのとき世界が、「まるで土星の暗示のような」衰亡と汚染にのめりこんでいく、ということを併せて示しているのだ。

中略

 そういう時代に中国がトップの座につくとすれば、気の毒としか言いようがない。いくら国の勢いが強まっても、地球と人類を覆う荒廃は、「国の勢い」だけでは手に負えない。
 ノストラダムスはそこも冷厳に見通していたようだ。彼は「"日の国"が栄えたあとサチュルヌが支配する」と書いた。しかしそれが新しい繁栄に結びつくとは、どこにもひとことも書かなかったのだ。
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五島氏は米ソ大戦後の世界を上のように予測している。米ソ大戦は実現しなかったが、大恐慌と中東大戦の予測は半分くらい当たっている。サチュルヌは「原始農業の神」も意味することから、もしかしたら最近の無農薬無肥料農業や自家栽培の普及を意味しているのかもしれない。


とにかく、日本は国債暴落しようが中国が世界の経済覇権をとろうが、世界の垂涎の的のままでいるだろう。五島氏の予測のように経済覇権をとっても世界が汚染されては話にならない。

最近特に思うのは足の早い詐欺師が跋扈する国より堅実な人が多い国の方があらゆる面において優れていると言うことだ。
 物質は精神を支配することは出来ない。精神の方が上位にあるからだ。だから世界を物質のみでしか見ていない経済評論家の言うことはこれからもどんどん外れていくのだ。
 日本人は無意識のうちに低コストで真に満足できる方法をこれからも編み出してくるだろう。経済評論家は人間の創造力を無視して、数値や数の論理でしか見ていない。だから先読みが出来ない。人間の意識、思考は各種指標より先んじる。そしてその思考力は将来経済そのものを取るに足らない物にしてまうことだろう。これは筆者の願望も入っているけどね。
posted by danpei at 16:33| 政治経済